第十話 愛する人の願いを裏切れますか?




私は駆け出した。
どこへ向かっているのか?
それは私ではなく彼女に聞くべきことだった。
分かるのは彼女は必死になっていること、大切な人を助けるために必死になっていること。
人って本当にすばらしいものだと思った。
自分以外のことをこんなにも想うことができるなんて本当に幸せだよね。
私はまだまだだけど、この人の心は本当に温かくてそれを補ってくれそうな気がした。
そっか・・・この人が・・・

カガリは走っていた。
キラとラクスの声が遠くに聞こえたが、それは今問題ではなかった。
カガリの心にあるのは1つ、アスランを助けたい!それだけだ。

「・・あれ・・・まさか・・・」
シンは辺りを見回す。
先ほどまでいた光は姿を消し、その気配すら読み取れない・・
感じ取れないということはそれが『魂』でも『doll』でもなくなったということ。
つまりそれは・・・

「じゃああの子はどうなるんだ!!!」
シンは祈るようにカガリの後を追った。




見えるのは一面の草原。
カガリはここが好きだった。
アスランは懐かしい記憶に思いをはせる。

「花とかは興味ないけどやっぱり綺麗だとかいい匂いだなっとか思うだろ?」
「・・・なんだよ・・急に・・」
アスランとカガリは寝転がりながら風を草花を体に感じていた。
横向きに自分を見るカガリにアスランはなんだか恥ずかしくなり膨れたように返した。
「私・・仕事やめようかと思うんだ・・」
「・・・・・」
そういうカガリにアスランは驚くでもなく、隣で空を見上げている。
「アスラン、私にプロポーズしてくれたよな・・」
「ああ・・」
「それで結婚しても私には好きなことをしてればいいって言ってくれた・・」

「その通りだ。一緒に暮らせて、生きていけることが出来るなら俺は君を束縛したくない・・・」
自由な君を奪うつもりなんてない。
たとえ・・・同じ道を歩いて欲しいと思ってもそれは俺の我侭だ。
同じことをしていなくても同じ夢は見られる。
カガリが一緒にいてくれさえすれば・・・

「安心しろ。夢は叶える・・立派な時計店を作って見せるよ。便利なんだろ?この街には時計店がないから」
アスランは冗談めいた笑みを漏らすがカガリは顔を横に向けたままじっとアスランを見ている。
ふわりと風が起こり、カガリの髪は乱れるようにしてそれに舞った。

草の上に寝たまま、2人は顔を見合わせる。
何も言わず、ただお互いを見ていた。
そっと触れたのはカガリの手・・・アスランの手に重ねるようにしてその手は伸ばされていた。
「私は一緒に夢が見たい・・・私は今の仕事が好きだけど、多分さっき言った程度なんだ」
「花・・・」
「うん。ほら私食べるの好きだからさ、喫茶店に勤めてるとそれだけで満足しちゃうっていうか・・・」
「なんだそれは・・・」
「いや・・だから・・・言って欲しいんだ・・・」
彼女は俺からの言葉を待ってるんだろうか・・
優しさだけではなく、本当の俺の本心を・・・
なんだか恥ずかしそうにカガリは瞳を泳がせる。

そうか・・言ってもいいんだ・・・
アスランは顔をすっと緩ませる。

「カガリ、俺と一緒に時計店をやっていかないか?これからずっと、一生・・・俺と一緒にやって欲しいんだ・・」
するとカガリは瞳を輝かせ
「ああ!」
と、笑顔で答えてくれた。


あの時は戻らない・・・
アスランはそっと草に手を添える。
あの想い出もここだった・・・そしてあの忌まわしい記憶も・・ここだった。
それはカガリがいなくなった日、花と血が瞳の奥に焼きついたあの日。

「もう・・・いいよな・・・?」
俺・・受け入れるから・・・カガリの死を受け入れる・・。
だからもう楽になっていいよな・・・
「あの子を残していくのは無責任かもしれない・・だけど、俺にはもう出来ることはない・・
俺に出来るのはあの子を苦しませることだけだ・・いたって何の役にもたたない・・・」
店はキラとラクスが守ってくれる・・
だからもう・・・
アスランはポケットから懐中時計を取り出す。
「カガリ言ったよな・・・俺とカガリの心臓の音を刻んでるって・・・」
でももう君はいない。
刻んでいるのは俺の心臓の音だけだ。
こんな不完全な時計・・売り物にも役にも立たない・・・
アスランはその時計を開くことなくぎゅっと握りしめた。
そしてそっとキスをした。

「ありがとう・・カガリ・・・」
左手に握られたのは小さなナイフ。

俺は俺の罪の後始末をしなくてはならない。

君だけが俺の生きる希望だった。
君が俺の光だった。
君が俺を救ってくれた。
だが俺は君を救えなかったんだ。
それも俺の罪。

カガリ・・怒るかな?
怒るだろうな・・・でも俺は1人じゃ生きていけないんだ・・・

光る切っ先を自分の喉元に突きつける。
だが不思議と恐怖はなかった。
あるのはこれで楽になれるという気持ちと・・カガリの怒った顔・・・。

怒った・・・・


「はぁ・・はぁ・・はぁ・・・っっ」

自分の息づかいではない何か、それは・・・

「・・・君・・・」
あの少女だった。
今にも倒れてしまいそうなほど肩を上下させ呼吸をしている。
アスランはなぜだか笑みを漏らす。
「ここを誰に聞いたんだ?」
ここに彼女は連れてきたことはない。
記憶から知ってはいるかもしれないが、あの状況でこの子がここに来る理由など分かりはしなかった。
だが少女は肩を上下させたまま俺を睨んでいた。
当然だろうな・・・
それだけのことをして、今はそれから逃げようとしている。
アスランは喉元のナイフを下ろそうとはしなかった。

「俺はもう君を縛ったりしないよ。だから好きなところに行くといい・・・」
アスランは遠ざけるように言う。
ここにいて・・俺の最後など見たくはないだろう?と・・。


少女の瞳からは大量の光が零れる。
陽が落ちかけ涙は潤むように光を反射させた。
「っって・・・だれが・・・・っっ」
「え・・・?」
押し殺した声にアスランの笑みは止んだ。

「誰がそんなことを望んだ!!!!!」
次に訪れたのは首に掛かる激しい痛み。
ナイフ?いや・・違う・・・
「私はそんなこと望んでない!!私が望んでいるのはアスランの幸せだ!どんなに苦しくても夢を諦めて欲しくない!
私がいなくなったとしても・・・生きてて欲しい!そう願ってるんだ!!!」
少女は・・・目の前にいた。
俺の襟首を掴みすごい形相で・・泣いて、怒っていた。

アスランはその姿をなんだか他人事のように見ていた。

「・・もういいんだよ・・・・もうカガリの姿を追わなくていい・・・君は君でいればいいよ・・・」
カガリの思いを創らなくてもいい・・・君は君だ。

「なんで時計を渡したと思ってるんだ!!!もし私に何かあってもこの時計の針は私の心臓の音を刻んでいる・・その意味を込めて アスランに渡したのに・・・っっ」
「・・・・」
「私は死んでも・・私はアスランと一緒に時を刻んでいるんだ!!それを・・どうして分からないんだよ!!」
この子・・?
アスランはなにか違和感を感じる。
今までと違う何か・・・言葉が違うとかそういうことじゃない。
彼女の言っていることが違うのだ。

「お願いだから死ぬなんて考えないでくれ!!!」

アスランの体を優しいものが包む。

懐かしい・・これは・・・だって・・・この感じは・・・

アスランの体に灯がともる。
それは暖かく、体中の機能を動かしていくようだ。
それと伴って胸の中に熱いものが込み上げ、ぼすん・・・とアスランの手からはナイフが落ちる。

「苦しいのは分かってる・・でもそれでも・・私はアスランに生きてて欲しいんだ!!!」
ああ・・これは・・・

カガリだ。

体中が震える。
喜びなのか驚きなのかは分からない、でも確信することは出来た。これはカガリだと・・・
久々に感じた気持ち、気持ちを受け止めるという行為。
それは・・・こんなに深いものだったのだ。
「・・ッガリ・・・」
アスランは爪を立てるようにカガリを抱きしめる。
そうだ・・・これはカガリの気持ちなんだ!
俺が欲しくて・・受け止めて感じたかった気持ち・・俺から見たカガリではなく、カガリ自身の気持ち!!
抱き合うその感触は何よりも尊く、欲しただけでは手に入らないもの。

罪を犯したのに・・・なのに神は俺を・・・・救おうとしてくれるのか・・・?

「カガリ・・カガリッッ」
愛しいその人は夢でなく、本当にここにいるんだ・・俺の腕の中に・・。

だがその喜びはつかの間だった。

「・・・アスラン・・・私はここにいられないんだ・・・」
「え・・?カガリ・・・」
ふっとカガリの力が緩み、アスランの体から離れる。
「この体はもう私のものじゃない・・・私はここにいてはいけないんだ・・」
寂しそうに自分の体を見下ろすカガリうをみてアスランは気づく。
カガリは彼女に体をあげるつもりなのだ。

「でも・・・」
せっかく逢えたのに・・こうして今目の前にいるのに・・っっ
アスランは認めたくないとカガリに手を差し出した。
「アスラン・・・私は本当に幸せだったんだ・・・アスランと出逢えて、みんなと出逢えて・・・
だからアスランも私と出逢えた幸せを胸に生きてくれないか?私はいつでもアスランのことを見てるから・・・
寂しくなったらその時計の音を聞いてくれ、私はいつもアスランと一緒に時を刻んでるから・・・」
「っっ・・・っ・・」
アスランは零れる涙を止めることもできず小さく首を振る。
カガリは笑みを浮かべていた。
最後に悲しい顔は見せたくないのだろう。
カガリらしい・・・でも・・・
「俺は・・カガリと一緒にいたいんだ・・・っ」
アスランはカガリに手を差し出すが、カガリは首を横に振る。

「アスラン、行ってきます」
「だめだ!カガリ!!」
「いつかまた会えるから・・・きっと・・・」
「行かないでくれ!」
「幸せになってくれよ」
君なしで幸せになど・・・
アスランは潤む瞳を瞬かせカガリの姿を見ようとする、だが止めどなく溢れる涙にいくら瞬きをすれどその姿が霞んでしか見えない。
そしてもう1つ瞬きをしたとき・・・カガリの姿は消えていた。

「・・そんな・・・」
やっと逢えたのに・・・やっと・・カガリに・・・
「カガ・・リ・・・」
俺の罪は決して消えることはないのか?
生きて償わなければいけないのか・・・?
アスランは辺りを見回すがカガリの姿はどこにもない。

「カガリ!!!!!!」

そうして俺は死ぬことも許されなくなった。
それがカガリの最後の願いだったからだ。